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つゞれの歴史
つゞれ錦織物の由来は古く、仏教伝来と共に伝えられたとされる。
太秦一帯には古代に一大勢力を誇った渡来系豪族、秦氏により養蚕、織物の技術が伝えられ、その技術を後に仁和寺門前、御室の地にて当家祖先により伝承され織り継がれたのが「御室つゞれ」の始まりです。
御室の地がつゞれ錦織物の発祥の地であり、千六百四十三年(寛永二十年)清原宗右衛門により「御室つゞれ」と称し、御室つゞれの創業として現在に至る。


つゞれ織はエジプトのコプト織、フランスのゴブラン織と同種の平織りであり、匠の技で多彩な緯(よこ)糸を織り込み、文様を表現する豊かな織物です
織風は緯糸を折り返して織る為、柄の境に経に沿って織り分けることを{はつり目}といい、柄糸をはつり分け織り上 げます、これがつゞれ錦織物の最も大きな特色であります。
手法として匠自身の指頭の「爪」を鋸型に研ぎ、織り込む時に櫛の代りに爪で、かき込み織り上げます、芸術的、美術的な精巧な多彩な模様が表現出来るため、熟練した技術が必要となります。

御室の歴史
京の都 北西部に位置し、北は大内山、南に徒然草の舞台の双ヶ丘、世界遺産仁和寺、光孝天皇陵、宇多天皇陵、福王子神社(御祭神班子女王宇多天皇の母)があります。
御室の名の由来は、御室は、宇多法皇の御所;宇多天皇は出家後住まわれた仁和寺境内に御所を造営され、その住まいを「御室」と呼びます。仁和寺に由来する地名で平安時代には「御室御所」と呼ばれ、門跡寺院としての歴史を持ちます。
この「御室」の名称が仁和寺一帯の地名となり、現在も「御室」として使われ親しまわれています。

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